空生院の旧暦暮らし

天台寺門宗の教会設立を目指して活動をしている細やかな道場です

亡霊の時間

 

仕事が忙しく更新を怠っている内に、いつの間にか立秋が過ぎ、お盆に突入してしまいました。

立秋を境に猛暑も一段落して暦の不思議を感じます。

 

さて、今月の歌舞伎座は恒例の「八月納涼歌舞伎」

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毎年ガチガチの古典を並べる事なく、肩の凝らない新作や比較的新しい作品が選ばれる事が多いですが、今年はいつにも増して攻めた狂言立てだと感じました。

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今月一番の呼び物はなんと言っても第二部の玉三郎さんの「火の鳥」です。

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玉三郎さんと今売り出しの染五郎團子の「染團」コンビで第二部は早々に完売したそうですね。11日は玉三郎さんの体調不良で「火の鳥」のみ休演となってしまったようですが、元々の休演日を挟んで13日よりお出ましの由。まずはよかったです。この「火の鳥」、邦楽を一切使わずしかもバレエのような演出で歌舞伎座にかつてない斬新な空間が広がります。

 

拝見して心に残ったのは、第三部の「野田版研辰の討たれ」でした。

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25年前、十八世勘三郎が野田秀樹さんと初めてタッグを組んだ作品です。あの初演からもうそんなに経つんだと思うと感慨深いものがあります。ついこの間のような気がしてなりません。その初演の勘三郎さんは既に鬼籍に入られ、この度はやはり野田秀樹さんの演出を得て、ご子息の勘九郎さんが初役で挑まれました。周囲の配役も代替りした配役もあれば勘三郎さんの時と同様の配役もあり、懐かしいながらも新鮮な舞台を楽しめました。

 

演出の野田秀樹さんが、公演プログラムに「亡霊の時間」という素敵な一文を寄せられています。一部をご紹介したいと思います。

 

初演の時と同様に、私が想像していたよりも遙かに早いスピードであれよあれよという間に、場面が出来上がっていく。もちろん再々演だからということもあろうが、とはいえ新しい役の役者ばかりなのに、弾むように仕上がっていく。

それは恐らく「歌舞伎」が巨大な職人たちの集団であるからで、言ってみれば「劇団歌舞伎」だからこそやれる業(わざ)なのである。役者、裏方それぞれの個々の職人が、その生きた時間の分だけ、業を積みあげてきている。だから役者同士あるいは裏方さんとの間でも阿吽の呼吸のようなものがある。(中略)

そしてこの「歌舞伎集団」のものすごいところはそこにとどまらない。歌舞伎が誕生してからずっと、歌舞伎に携わった「.歌舞伎職人」たちすべての「時間」までもが、すなわち「亡霊の時間」が、今日の舞台の下に埋まっている。

例えば、歌舞伎の素養のないこの私が、インスピレイションをもらえるような「お囃子」を即興で奏でてくれる。そのことで舞台がさらに弾むような演出を思いつく。その根底にあるのは、長い長い時間をかけて守られ育まれてきた「お囃子」があるからだ。その「お囃子」を生み出してきた「歌舞伎職人」たちの亡霊の「生きていた」時間があるからだ。

この「研辰の討たれ」にしても、初演、再演時に関わったすべての「歌舞伎職人」たちのその稽古場を「生きていた時間」が、今日の舞台の礎となっている。私は「歌舞伎職人」たちが本気になった時の、しかも本気で楽しんでいる時の仕事の速さ、そして、その出来栄えに、今回も舌を巻いた。

 

野田秀樹さんは、伝統芸能に於ける先人の仕事の積み重ねがそのまま現在の舞台に生き続けており、その先人の生きた時間を独特のワードセンスで「亡霊の時間」と表現した上で評価されています。

 

しかしこれは伝統芸能の世界にのみ言える事ではないでしょう。

 

佛教では「血脈(けちみゃく)」が重要視されます。

顕教ならば釈迦(或いは過去七佛)を、密教ならば大日如来を祖として自分に至るまでの法脈をまるで系図のように示した物で、即ち自分が正式な佛弟子であることの証となるものと考えられます。

しかしこの血脈、私は佛弟子の証明書としてばかりではなく、自分に至るまでに如何に多くの先人先覚がいらしたか意識し振り返る意義もあろうかと思います。

曹洞宗様では朝課において仏祖諷経に永平寺様ならば過去七佛から天童如浄までを唱和、続く祖堂諷経に開山の道元禅師から現住和尚様までの読み上げが行われていると聞きます。これを毎朝なさるということは、常に過去を振り返り、膨大な時間をかけて受け継がれ即今自分の身体にも注がれた佛道の有り難さを思い、改めて師恩に報いんとする心であろうと思います。

 

平家物語に名高い熊谷次郎直実は、無官の大夫敦盛を討って無常を感じ、法然上人の門に入り出家して蓮生坊と名乗りました。法然の許を辞して故郷熊谷に東下する時、西方極楽浄土におわす阿弥陀如来に背を向ける事を嫌って、馬に鞍を逆に乗せて「逆さ馬」にて西向きで東下したという言い伝えがあります。この逸話は絵画作品の題材にもなっていて私も幾つか拝見したことがありますが、蓮生坊の阿弥陀如来への深い信仰が溢れ出て、また少し微笑ましくもあり私は大好きな逸話の一つです。

思いまするに、芸能であれ宗教であれ長い伝統の上に成り立っていて、その恩恵を被って生きている者は、この蓮生坊の如く後ろ向きに進むような心持ちが必要なのではないかと。

まあ蓮生坊のようにずっと後ろ向きなのもしんどいかとは思いますので、時々は後ろを振り返って我が身に連なる多くの「亡霊」の皆様に感謝をしなくてはと思うわけです。

 

丁度お盆ですね。

ご先祖様をお迎えし供養すると共に、我が法脈の尊き事を振り返るにはよき時であります。