空生院の旧暦暮らし

天台寺門宗の教会設立を目指して活動をしている細やかな道場です

受者の心得を考える

 

少し前になりますが、ポレポレ東中野という映画館で「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」という記録映画を拝見しました。

映画の上映が終了して大分経ちますが、時間が経っても色々と考えさせられることの多い作品だったので、敢えて記事にさせていただきます。

ここに言う「片岡仁左衛門」は、当代(十五代)の片岡仁左衛門さんのお父様の十三世片岡仁左衛門さんのこと。

 

この記録映画を撮った羽田澄子氏の生誕100年と十三世仁左衛門の三十三回忌を記念して、今年5月から6月にかけてリバイバル上映されていたのですが、その時には伺うことができず、先月のアンコール上映でやっと拝見できた次第です。

 

「若鮎の巻」「人と芸の巻」上中下巻、「孫右衛門の巻」「登仙の巻」の計六巻。トータルで10時間越えの大作映画です。昭和62年、84歳のときから、平成6年、90歳で亡くなるまでの舞台映像、稽古場でのご様子、楽屋やご自宅でのご様子、後輩やお弟子さん達へのご指導の様子、芸談やインタビュー映像までふんだんに盛り込まれ、かなり興味深い映像作品でした。

 

映画「国宝」で渡辺謙が演じた花井半二郎は糖尿病の悪化で視力を失うという設定でしたが、こちら十三世仁左衛門は緑内障でお目を患う事になります。撮影が始まった昭和62年ごろは既にかなりお目が不自由でいらっしゃったようですが、それでもご自宅の廊下はお一人で歩いておいでだったのが、亡くなる前年にはもうお一人では動くこともならず、盛夏に膝掛けを掛けて椅子に座っておいでになるお姿は、晩年の寂とした時間の重さを感じずにはいられませんでした。

 

十三代目が辿られた時間の重み、それは今回この映画で多くのお弟子さんや後進の歌舞伎俳優に指導される様に如実にあらわれています。

お弟子さん達に稽古をつけていらっしゃるのを見ると、お目がご不自由でいらしても台詞や動き、義太夫、黒御簾の合方鳴物、全てが十三代目の身体の中にインプットされていて、時々に的確な指導やダメ出しが行われます。恐らく文字による学習に頼らずとも、多くの古典の役々が衣裳と鬘さえあれば明日が日興行の初日でもしおうせられたのであろうと思います。

 

映画「国宝」の中で、渡辺謙演じる花井半二郎が子供達を扇で打ち据えてスパルタ式の稽古をつける件がありますが、多くの歌舞伎俳優が今はあのような稽古はしていないと口を揃えます。

しかし十三代目は若き頃六代目菊五郎に「紅葉狩」の「山神」を教わった時、素っ裸に剥かれて背中に竹の棒を背負わされて厳しい稽古を受けた事を語っておられます。その折、通り一遍の「おさすり稽古(と仰ってらしたと思うのですが)」ではダメだというような事も仰ってたと思います。昨今のようにお手軽な記録媒体がない時代、常に真剣に稽古に臨み、生の先輩たちの芸を目と耳と、いや身体全体で盗んで来たからこそ十三代目のあの晩年の輝かしい舞台があったのだと思います。

 

それを思うと、昨今の少しキツく注意をすると始末書の一つも書かされるような社会では、やはり何かが変わっていくのではないかと思うわけです。

言うまでも無くそれは現代の会社組織のみならず、スポーツや伝統芸能の世界、果ては仏道修行にまで静かに浸透してきているのであろうと思います。

実際、私共一門の上座のお弟子さん達は、修行期に泣かぬ人はいなかったと聞きます。振り返ってみますと私自信もそうですが、昨今修行で泣いたという話は聞いた事がありません。無論元々好きで身を投じた世界なのだから泣く謂れなど無いのですが、昔はその上を越す厳しさがあったということなのだと思います。その意味では私の行なども「おさすり稽古」であったのだろうと思います。

昭和の時代が良かったと今更言うつもりはありませんが、特に故きを温ねる「業界」の人間はこの先如何にして行くべきなのか?

私は偏に受者の心得を問い直すべきなのであろうと思っています。おさすり稽古を有り難がってそこに安住をせぬ事を考えねばなりませぬ。

しかしながら私含めこの先の人たちが皆高邁な理想の受者になれるのかといえば、恐らくは中々そうはいかないでしょう。そして「業界」は緩く長い時間を掛けて徐々に衰微して行くのだと思います。

その衰微を少しでも遅らせるには?

自分は一体何が出来るのか?

 

十三代目さんのお姿に色々な事を考えさせられたよき映画であったと思います。

またいつの日か上映があります事を心から願っています。

 

 

 

 

 

現金な話

 

先日コンビニで1,867円の支払いを、現金でお釣りが出ないようにちょうど出したら、レジの店員さん(日本人)のうら若いお嬢さんが現金を勘定するのにかなり手間取ってしまっていたという事がありました。

想像するに恐らくこのお嬢さん、プライベートではほとんど現金を使用せずに、現金を数えるという事がもはやなくなってしまっていて手間取ってしまったのではないかと。

若い方が現金を持ち歩かなくなって久しいですし、現金お断りの店舗も随分増えたように思います。しかし私なんぞは未だに咄嗟の支払いは現金が圧倒的に多いですね。

 

そう言えば少し前にSNSで、若い女性がお茶の稽古を始められ、お月謝に新札を持って来なかった事を先生になじられてやめてしまわれた話が流れてきましたが、この辺の事は社中の古参の方が優しくご指導されればいい事で、当の先生が頭ごなしにご注意される事ではないと思うのですが。

お茶の世界は新札に対する拘りが一般の世界よりも強いように思います。前述のご社中のようにたとえお月謝でもやはり新札でというところは多いんじゃないでしょうか。

私の稽古場でも油断していて新札がなかった時など、一言「用意がなくて」とお断りをすれば特にお咎めはありませんが、ある程度纏まった金額や家元にお納めするようなものの時は、新札の通し番号で持ってくるようにと暗にご指導があります。(これは先生に直接ご指導いただいた事ではなく、古参の方の囁きです。)

最初これを聞いた時には「えっ!とおしばんごう⁈」と思ったものです。まぁわざわざ仰って下さった事だから以来そのようにしていますが、かつての私は新札であれば文句はなかろうに「とおしばんごう」って⁈と思っていました。

しかし月日は流れてお得度して、毎朝御宝前に御給仕するのが日課になってみると、この「とおしばんごう」というのも腑に落ちるようになってきました。

「とおしばんごう」で新札を揃えるためには、銀行に行って両替する必要があります。つまりそのお金は家にあった現金をかき集めて持って来たものではなく、「その為」に用意したお金ということになります。この「その為」に、ということがお茶の世界では尊ばれるところです。

掛け物をはじめとした数々の道具類は言うに及ばず、懐石料理や菓子の準備、露地の木の葉一枚の汚れにも気を配るのは、みな「お客様の為」で、そうした心を習うのはお茶の稽古の大きな意義であると思います。

 

私は得度してから、この「その為」にという心持ちが、仏教徒として日々本尊諸尊に向かうのに通じるものがあると感じるようになりました。

朝起きて何はさておきお水とご飯を差し上げる。帰宅したならばまずはご挨拶に手を合わせる。師僧寺の奥の院に行けば長野駅で何かご本尊にお土産はないかと探す。名古屋にお手伝いに伺えば帰りの新幹線に飛び乗る直前にせめて赤福でもお供えしようと購入する。そうした本尊ファーストの生活の基盤にあるのは、とりもなおさず「その為」にという心持ちであろうと思うようになりました。

 

世界で最もキャッシュレス化が進んでいるのは北欧諸国だそうで、現金の使用率は1割を下回るといいます。逆に日本はドイツなどと共に先進国の中でもキャシュレス比率が低いそうですね。ドイツはプライバシー保護の観点から現金の使用率が高いようですが、日本に関しては「進物」や「ご祝儀」或いは様々な「ご挨拶」に関わる現金文化が未だ根強く残っているのも大きな原因なのではないかと思います。

熨斗袋の表書き、お札の入れ方渡し方などなど、七面倒くさいことがこの国には今以て残っています。前述のお茶の稽古をやめてしまわれた方などは、こうした古い現金文化を壁と感じてしまわれたのだと思います。しかし私は思います。この七面倒くささこそが人の至誠を表すものだと。

 

思えば密教修法という「おもてなし」は、お茶に劣らず七面倒くさく、またこれほど楽しいものもありません。

京都嵩山堂はし本の熨斗袋。木版摺りで佳きものです。大事な時にはこれを使います。

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諸行無常とはいいますが

 

少しの間大阪に滞在していました。

 

この度は劇場の閉場に立ち会うことになりました。

 

道頓堀の大阪松竹座という劇場です。

 

道頓堀は江戸時代から「道頓堀五座」と言われた、芝居や人形浄瑠璃の劇場が櫓を連ねた由緒ある土地です。かつての五座の櫓は既になく、この度閉鎖となった「大阪松竹座」が唯一の劇場でありました。

それが閉場とは。

 

東都に於いて劇場の閉場といえば、近くは三宅坂の国立劇場、日比谷の帝国劇場、そして少し遡れば東銀座の歌舞伎座などが挙げられますが、この内歌舞伎座は既に再開場を果たしており、帝国劇場も2030年の再開場を目指して着々と事が進んでいるようです。国立劇場のみ再建の目処が立っていないのは残念ですが、再建に向けた方向性だけは示されているのは何よりの事です。

 

しかし、大阪松竹座はその方向性さえ示される事なく閉場されることになりました。

 

この度は4月5月の二月間、さよなら公演として歌舞伎公演が興行されましたが、その4月の興行中に大阪府の吉村知事は府の定例会見の中で「道頓堀は、芝居小屋の文化で発展してきたという歴史がある。道頓堀の歴史と魅力、芝居小屋の文化ということを考えると、劇場機能はぜひ残してもらいたい。残すべきだと思っている。 大阪府と大阪市で、できることを松竹と協力してやっていこうというのが考え方。道頓堀に劇場を残す。あるいは、新たな劇場機能をつくっていく。松竹と協力しながら、僕自身もさまざま尽くしていきたい。」と述べられました。

 

これ自体は有り難いことであるとは思いますが、具体的な方向性が示されないまま、あの美しい外観と広すぎない手頃な良き劇場空間が失われるのは、やはり先の三劇場の閉場とは違って近頃これほど悲しい出来事はありません。

 

さて佛教では「諸行無常」といいます。

この世の全ての現象は常に時々刻々生滅変化し、一時も止まることが無いことをいいます。

所謂佛教の四法印の一つで、これを外すともはや佛教ではなくなるであろうという、佛教の根本的な教義の一つですね。

私達は日常のごく小さな一齣一齣、例えばいつもスーパーで買っていたお豆腐が今日は変わっていたとか、長年使っていたお財布の留め金がいつの間にか取れてしまっていたとか、そんな昨日とは違った小さな違和感を覚えると「諸行無常」だからなあと思ってやり過ごす事が出来ます。

しかしこれが歴史に残るような出来事に大きなショックを受けたり、或いは肉親の死など少なからずこの身に痛みを覚えるような出来事に遭遇すると、とても澄まして「諸行無常」だからとは言えません。

これは「諸行無常」ということを頭では理解していても、ちっとも体得していない証拠なのかも知れません。しかしながら佛教は、日常の様々な出来事に心一つ動かさない枯木のような境涯を求めるものではないでしょう。その時々に悲しき事はしっかりと悲しみ、そこに「諸行無常」なることを改めて認めて、またそこから出発して行くことが大切なのではないかと思うわけです。

そしてもう一つ。「諸行無常」が語られる場面は、決まって人間にとって悪しき状況の時であるということです。平家物語の冒頭に引かれているも頷けます。しかし「諸行無常」は決して悪しき状況に特化した教えではありません。浪人生が刻苦精励して志望校に合格したり、赤字の会社が営業努力の結果黒字に転じたり、そうした一陽来復もまた立派な「諸行無常」であります。

 

道頓堀に大阪松竹座の櫓がまた上がるのか、全く別の劇場が誕生するのか、或いはもはや劇場などというものを受容するような土地ではなくなってしまうのか。

何れにいたせ、時々刻々と移り変わり一寸先が分からぬ世の中と、またそこを泳ぎ渡る我々も一瞬を過ぎれば既に前の自分ではなくなっている事を思えば、結局のところ今の自分をより良く生きる以外にはないことに行き着きます。その上で私は道頓堀の芝居の灯が絶えることがないよう強く祈念して、私個人でも協力出来るような事があるならば惜しむことなくして行く所存です。

 

大千穐楽の大阪松竹座の外観

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雨のお見送り

 

その昔秀吉の勘気を被った千利休は、大坂に蟄居するために淀川を渡って京を離れました。その際、高弟の細川忠興と古田織部の二人だけが密かに船着場から見送ったと言われています。数多ある弟子の多くは皆秀吉に遠慮して師を見送ることはなかったと伝えられています。

 

当時秀吉の気に染まぬ行いをしては命に関わる事になると思えば、これは単なる美談以上の話だと思わなくてはならないと感じます。

 

師僧の出立の朝。

よりによって結構な雨。

少し前に伺った時に、仕事もある事だろうから当日は来なくても良いとの申し渡されではありましたが、まぁ時間もあるしせめてお見送りだけでもと伺いました。

香雲院さんと二人、雨の中のお見送りとなりました。

で、何となく利休を見送る忠興と古織の故事が浮かんだわけです。

 

冒頭に意味ありげにこのような故事をおきますと、まるで今日お出でのなかった御一門の皆様を批判がましく申すように聞こえるかもしれませんが、それは私の望むところではありませぬ。

皆様相応にお忙しく伺いたくとも伺えぬ方もいらっしゃれば、今日の日の為に前日まで色々と準備をお手伝いなさった方も多くいらっしゃると思います。

 

私如き不肖の弟子の場合、どうにか時間も取れますのに、ここで行かずにどこで師恩に報いようかと思いましての今日の仕儀です。

 

私が伺ってどうなるものでもなかったのですが、先ずは道中の無事、そして名古屋での布教活動と新しい生活の首尾、そして三匹の猫たちの健康を陰ながら祈念するところでございます。

 

名古屋に持って行くと仰っていたフクちゃん似のぬいぐるみ、暫しの形見にお預かりいたしました。

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私がフクちゃんの大の贔屓だっだのをご存知だったから。

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金翅鳥院に来たばっかりの頃のフクちゃん。

私が一落叉で奥之院に行く前日に本堂に泊めて頂いた時です。

あぁ〜今更ながら懐かしいですねぇ。

しかしこの懐古に安住していてはなりません。

明日からまた新たな気持ちで拝みます。

 

 

十一面様お迎え

旧暦でも新年を迎えて、いよいよ本当に春が待ち遠しいこの頃です。

 

少し前になりますが、十一面観音像をお迎えしました。

 

かれこれ五年程前になりますが、師匠寺にお手伝いに上がった時、丁度師僧が浴油中でいらしたのですが、その後降壇された師僧が御神籤を引いていらっしゃいました。

で私に仰るには、浴油中に私が来た時に十一面さんが強く感じられたと、今御神籤を引いてみたら◯番の大吉である。十一面さんをお祀りしたらいいのではないかと。

 

当時の私は、十一面様は蓮華部の尊でも取り分け怖いお方というイメージで、或いは近付かない方が良いのでは?と思っていた節があったのですが、それを師僧の方からそのように仰っていただいたのは望外の喜びでありました。

 

私にとって十一面様と言えば、やはり道明寺様の国宝のお像です。平安時代の檀像彫刻の傑作のこのお像を初めて拝見した時、こんな美しいお像がこの世にあったのかと暫しその場から動けなかった程の衝撃を受けました。

 

その事を師僧にもお話してご相談の上、道明寺写しの十一面様を彫ってもらおうと発願いたしました。

 

幸い本尊の勢至菩薩像を修復して下さった所に打診いたしましたら、「お時間頂きますがやりましょう」と仰って下さり、お見積りを頂いたのがかれこれ四年前。当初は去年くらいの納期であったのですが、その間能登の被災寺院の佛像修復などされた関係か大幅に遅れて、先頃やっと納入されうちの壇に安置する事が出来ました。

 

納入日が決まり師僧に報告すると、その日に開眼に行こうと仰ってくださり、転居のご準備でお忙しい最中忝くも開眼にお越し頂きました。

当日はいつものように田阪師と、この度は香雲院さんも御同行下されて、師僧の十一面供に三人で普門品を読誦させて頂き何とも幸せな時間でございました。

もう一週間もすると師僧は名古屋においでになる。四年越しに念願叶ってこの時期にお像が完成したのは、誠に有り難い巡り合わせと言わざるを得ません。

 

さて肝心のお像についてです。

本歌の道明寺様のお像は榧の一木造。

道明寺様のポストカード

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うちの壇に安置する事を想定して、お像は七寸ほどの小像にしてもらいましたが、台座と光背をつけて更にお厨子に入れると中々の存在感であります。

頭上面や天衣など後補の部分も多いようですが、この度は全て現状のお像に倣って彫って頂きました。また、本歌のお像は眼に黒曜石と思われる石を入れているのですが、お像の大きさも考えてそれはさすがにやめました。

本歌のお像と意識的に変えたのはただ一点のみ、白毫をつけたことです。

この時期のお像には佛菩薩であっても白毫を付けていないものがいくつかあるようですが、本歌のお像もその一つ。

しかし師僧から十地の菩薩として拝むならばやはり白毫はつけるべきであろうとのご指導を頂き、その一点のみ変更をいたしました。

 

本歌のお像はポストカードの写真でもありありと分かるように、衣紋や天衣が実に細かく彫り込まれています。当初は完全な模刻を望んでいるわけではないのでこうした細かい彫りは随意簡略化して頂いてもと申し上げましたが、実に細かく彫り込んで下さり、四年の長い歳月も待つ甲斐があったと心より満足をしております。

 

開眼前の記念撮影の画像などお見せしたいところではありますが、実は色々と大人の事情がありましてそれが叶いません。

 

なのでちょっとだけチラ見せを

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開眼の翌日早速一座十一面供をしてみましてが、あぁ〜なるほどこういう事かと合点がいったのは、やはり全く相手にしてもらえない感覚がある事ですね。

こちらが次第に不慣れな事を差し引いても、まぁ素っ気ないものですねぇ。

これは多くの行者さんが口をそろえて仰るところであろうと思います。

 

これからどんどん拝ませていただきます。

 

霜月三夜

 

新年明けて最初の二十三夜です。

旧暦の十一月二十三日。

旧暦ではまだ十一月なんですね。

昨年閏月があった事もあって、少し旧暦は太陽暦に対して遅めになってます。

 

古来二十三夜は多く正五九がより盛大に拝まれてきましたが、もう一つ十一月の二十三夜は「霜月三夜」として大切にされてきました。

正五九はまあ一般的であるとして、何故それにプラスして十一月か?

 

それは熊野に伝わる「三体月」の話が広まった為かと思います。

 

熊野で修行する修験者が、旧暦霜月二十三日に高尾山(たかおやま)の山頂で月の出を迎えると、一体の月の左右にもう一体ずつ、つまり三体の月が出て、これを拝んで法力を得たという。これを里の村人に話し、来年皆も山頂から拝むがいいと行って立ち去り、かくして一年後村の人々が山頂に登って月の出を待つとやはり三体の月が昇ったという話。

 

また中世に朝廷に提出された「熊野権現垂迹縁起」には、「熊野の神は元々唐の天台山から日本に飛行し九州の彦山など様々な山を経由して、熊野本宮大社の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」の一位の木の三本の梢に三枚の月形となって現れ、それを発見した猟師に、『我は熊野大権現である。一社は證誠(しょうじょう)大菩薩、二社は両所権現である』と告げたという記述があります。

 

つまり霜月三夜の三体月はとりもなおさず「熊野三所権現」であると言うことになります。また本宮大社の證誠殿の主祭神「家都御子大神(ケツミコノオオカミ)」は阿弥陀如来が本地なので、この日ばかりは勢至菩薩の部主であられる弥陀の来迎として拝めるのではあるまいかとも思うわけです。故に霜月三夜は一年の中でも特別な二十三夜と言えようかと思います。

 

ところで「三体月」などというものが実際に出現するのかと言えば、これは「あり得る」話だそうです。「幻月(げんげつ)」といって薄い雲に含まれる氷の結晶がプリズムのような働きをして月光を屈折させて起こる現象があるとのこと。

実は現在でも熊野各所では複数の団体によってこの「三体月」を観る「観月会」が開かれていますが、近年はっきりと三体で昇った月が観測されたことはないようです。しかしながら今でも月に神秘を求めてこうして人々が集まることは、二十三夜尊を拝む私にとっても実に嬉しい限りです。

今夜の月の出は午前一時過ぎ。

かなり冷え込む事と思います。月を観る方はどうかお気を付け下さいますように。

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新年を迎えて

 

丙午歳新暦での新年を迎えました。

 

昨年の師匠寺の焼失の事を思えば、一門こぞって目出度さも半分ほどのお正月かとは思います。

我々は身内や近親の方に不幸があると賀詞を憚りますが、今も様々に苦しい状況下で新年を迎えている存じ上げない方々がどれほどいらっしゃるのだろうかと、またそういう方々も等しく新年を迎えねばならないというのは、考えようによっては残酷なようでもありまた心の痛む話でもあると思います。

しかしながら、季節や暦は人間の営みとは関わり無く巡ってきます。我々人間の視点で見れば成る程心の痛むようなことも、抗いようのない自然の中で生かされていることに気付いてみれば、どのような境遇であろうともそれを受け止めて行かなくてはならないと思うわけです。

 

ここ数年お元日は未明に起きだしてお供えをあらためて、何はさておき本尊供をして先ずはご本尊にご挨拶を申し上げています。この未明の本尊供、毎年しみじみと有り難さに浸る時間です。次いで理趣分読誦。これが終わる頃にはすっかりと朝日が差し込んで来て太陽に感謝です。

唯一昨年と違うのは、今年から本尊供を三井流にした事です。

昨年暮れ京都滞在中に、空いた時間はほぼほぼこれに費やしていました。

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刊本があるわけも写本があるわけでもなく、三井の通用次第をベースにして完成させた私本で、師僧や兄弟子に伺いながらの中々の作業ではありましたが、先ずは納得の出来るものが出来たように思います。

今年から本尊供による祈願をこの次第で行う事によって、やっと念願であった「生きた祈願を三井流で」が実現します。

 

今年はこの後師僧の仮住まいにお年始に伺いました。

このような状況でのお年始もどうかと思いましたが、松の内のご挨拶が叶うのが元日のみになりそうなので思いきって伺いました。

仮住まいで心ならざる春を迎え何かと未来に思案を重ねていられる師僧の思いは察するに余りあるのですが、そんな中でも師僧の闊達な言わば「羽田節」が存分に聞けて、かえってこちらが元気を頂いてしまいました。

 

今年は本尊にとりましても午年ご縁年です。

先ずはしっかりと拝む事を何よりも大切に、また新たなご祈祷などご案内が出来たらとは思っております。

今年もよろしくお願い致します。