空生院の旧暦暮らし

天台寺門宗の教会設立を目指して活動をしている細やかな道場です

舌頭を截断す

 

先日かなり久しぶりに表千家主催の「資格者講習会」なるものに行って参りました。

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表千家同門会の各支部ごとに毎年「講師」「教授」の資格を有する者の為に行われている講習会です。家元から本部講師がいらして、実技指導と資料解説が行われます。

東京支部の会場は丸の内の東京国際フォーラムの5千人収容のAホール。その一階席のみの使用でしたので、恐らく2千人代後半くらいの方が集まっていらしたのではないかと思います。それだけの人数が見守る中、ステージ上に仮設された広間のお茶室で実技をなさる方達の緊張感は計り知れないものがあります。(しかも手元が大型スクリーンに映し出される。)

 

今回の実技指導は「茶カブキ」。

江戸中期に茶の湯の稽古人が増えた事に対応するために、表千家七代の如心齋が中心となって考案された七事式の内の一つです。

鎌倉時代に栄西禅師によって将来された「お茶」の種は栂尾の明恵上人の元に送られ、その地に植えられる事になります。そして室町時代に至るまでこの栂尾のお茶が「本茶」と言われ珍重され、それ以外の産地のお茶は「非茶」と言われて一段低い扱いとなっていました。そこで上流階級に流行したのが、この「本茶」と「非茶」を飲み分ける競技で、これを「闘茶」もしくは「カブキ茶」などと言ったようです。

「茶カブキ」はそうした歴史的な背景を踏まえて作られた式です。(残念ながら舞台で演じられている歌舞伎とは、語源を一にするものの直接の関係はありません。)

その式法は、まずABC三種のお茶を用意する。先に「試茶」としてABの順でお茶が出され、次いで「本茶」としてABCの三種のお茶を順不同に出す。客はこの三種の順番を当てるというもの。まあ今で言えば利き酒的な?

私共の稽古場でも年に一回は必ずさせて頂いていますが、「本茶」を飲む頃にはいい加減舌がアホになっていて中々自信を持って当て切ると言うわけにはいきません。

今回のステージ上で行われた「茶カブキ」では、お客が四名お入りになってお一方のみが三種全て当てていらっしゃいました。

 

さてこの「茶カブキ」の式には如心齋考案時に大徳寺の無学和尚が「截断舌頭始可知真味」(舌頭を截断して始めて真味を知るべし)と賛を寄せています。明らかに禅僧による禅僧らしいまるで公案のような賛なので、人それぞれの境涯によって受け取る意味は違ってくるのでしょうが、私のような盆暗がごく浅はかに読むならば、「舌先で味わうな」ということなんでしょうか?

我々現代人は中々食事に集中するということがありません。しかし修行中の僧侶の食事はお精進であるばかりでなく、食事中も無言無音であります。食器の上げ下ろしにも気を遣う中では食を味わうというわけにもいかぬのですが、段々それに慣れてくると薄味のお粥でも不思議と甘みを感じるような時が来たりします。或いは「真味を知る」とはこの辺りが糸口になるのかも知れません。

私の知っているお寺でも、在家信者の方に修行中の僧侶と同様の「斎食儀」などを読んで貰ってからお粥を頂くような斎食をされています。中々そういうお寺も少ないかも知れませんが、機会があれば皆様もこうしたものに参加されて是非「舌頭を截断」してみては如何でしょうか?