空生院の旧暦暮らし

天台寺門宗の教会設立を目指して活動をしている細やかな道場です

不死の月

 

中秋ですね。

旧暦ですと、ざっくり七月〜九月が秋という区分になります。なので旧暦八月十五日は秋の真ん中という事になります。

 

言うまでもなく名月を賞でる日です。

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日本では月の紋様は兎が餅をついているという解釈ですが、中国では不老不死の薬を砕いているという事のようです。

 

これには「嫦娥奔月」の故事が由来となっていると思われます。

古く「淮南子」に端を発する物語は様々に肉付がされて伝わりましたが、その凡そのところをかなり掻い摘んで言うと、「弓の名手として名高い后羿(こうげい)が西王母から貰った不老不死の仙薬を、后羿の妻の嫦娥(じょうが)が盗み飲んで月に逃げた」というもの。

この後嫦娥は月の精と目されたり、或いは嫦娥は月に至って蟾蜍(ひきがえる)になったという説があったりしますが、月と不老不死の関係はここの辺が由来のようです。

 

因みに日本の宇宙航空研究機構(JAXA)の月周回衛星は「かぐや」という名称ですが、中国の月面探査計画は「嫦娥計画」といって探査機は「嫦娥○号」という名称です。恐らく中国では「嫦娥奔月」はメジャーな故事なのだと思います。

尤も日本でも「嫦娥奔月」は浮世絵の画題になっていたくらいですから、明治あたりまでは日本でも知られた話だったのではないかと思います。

 

また十二天の一尊「月天」の種字は、「遷変」即ち移り変わる事をあらわす「遮」字に空点をつけて「占」として「不死」の義をあらわすとし、ここでも月に「不老不死」のイメージを重ねています。

 

絶えず満ち欠けを繰り返し「変遷」を思わせる月に、何故「不老不死」という相反するイメージを重ねるのか?

 

私はここに有情の輪廻と佛性を読み取りたいと思います。

私共の生涯は儚くそれ故にこそ人は「不老不死」を願いますが、その願い虚しく生を終えまた新たに生を始める事になります。正しく月の満ち欠けの如しです。そしてその連続した生を貫き通すのが「不死」たる「佛性」なのだと思います。

 

現代人が月を拝む意義を考える時、この辺りがヒントになるのではないかと思っています。

 

関東の方はお天気が良くなさそうですね。

昔の日本人は雲に隠れた中秋の名月を「無月」といい、また雨の時には「雨月」といって見えない月に思いを馳せました。

これは恰も秘佛を拝むのと同様なのではないかと思います。

 

今夜は不死の秘佛にお供えをして手を合わせようと思います。